大人からのバレエ推進委員会監修

高橋森彦のバレエ&ダンスの逍遥

高橋森彦

舞踊専門紙誌、美術誌、芸術批評誌、バレエ公演プログラム、公演チラシ、Web媒体等に公演評・解説・紹介記事・インタビュー記事を寄稿する。

バレエ、コンテンポラリー・ダンスなど洋舞のほか演劇等も含めたパフォーミングアーツ全般に関心。

公式ブログ「ダンスの海へ」

http://d.hatena.ne.jp/dance300

谷桃子バレエ団『レ・ミゼラブル』
〜日本人の心・感性を通したバレエを創造

フランス・ロマン主義の詩人・小説家であるヴィクトル・ユーゴー(1802〜1885)。 彼の著した小説「ノートルダム・ド・パリ」「レ・ミゼラブル」は不朽の名作として知られ、今日に至るまで演劇や映画の世界でたびたび取り上げられてきた。 しかし、その舞踊化となると「ノートルダム・ド・パリ」が、19世紀にジュール・ペローによって『エスメラルダ』(1844)としてバレエ化されたものと、20世紀は半ばを過ぎてローラン・プティがモーリス・ジャールの大曲を得てパリ・オペラ座バレエのために創作した『ノートルダム・ド・パリ』という名作を持つのに比し、 「レ・ミゼラブル」の本格的な舞踊化は見当たらない。そのバレエ化に挑んだのが、海外での創作歴もあるベテラン振付家・望月則彦である。2003年に古巣の谷桃子バレエ団のために創作され、このたび7年ぶりに改訂再演された。

一片のパンを盗んだことから投獄され、脱獄等を繰り返したこともあって19年もの間獄中生活を送るジャン・ヴァルジャン。 出獄後は司教のおかげもあって更生し、人間愛に目覚め、世の恵まれない人々を助けて市長にまでなっていく。不幸なファンティーヌとコゼット母娘を助けたりもする。 やがて彼は、みずからの身代りとして無実の罪を着せられた男を救うため過去を告白する。出獄後に犯した犯罪を見逃さずヴァルジャンを執拗に追跡するジャヴェール警部の追走やフランス革命の動乱のなかを駆け抜け、波瀾万丈の生涯を終える。 長大で入り組んだ原作ゆえに舞踊化は難しいと想像されるが、望月は12場とエピローグの付く一晩ものに手堅くまとめた。
バルトークやシチェドリンの名曲、それに現代曲を用いて情景を彩っていく。舞台背後に大きな回廊を配し、 そこに微妙繊細にあてられる照明(足立恒)がドラマに起伏を付ける。
初演時は、複雑な展開を手際よく整理し物語を観客に上手く伝えるストーリーテリングに傾斜していたと思う。しかし、今回は、人物たちの心理を深く表現する場面を取り入れて、より深いドラマを追求しようとした。 望月の創造を支えたのが谷バレエの団員たちである。辛酸をなめ尽くし人間だれもが抱えるような「弱さ」を痛切に滲ませ観るものの共感を誘ったジャン・ヴァルジャン役の齊藤拓、ヴァルジャンと同じ刑場育ちながら法の番人として厳格で冷酷非情な存在のジャヴェール警部を憎らしいほどクールに演じきった三木雄馬、

Coral Reef

薄幸な娘コゼットの内面を切々と伝えた熾拍ョ子、コゼットの母ファンティーヌを美しく演じた伊藤範子。 2日間公演のダブル・キャストのうちベテラン中心の初日しか観られなかったが、各々役にハマっており、かつそれぞれの役柄の心理を深く掘り下げている(2日目はヴァルジャン:今井智也、コゼット:永橋あゆみ、ファンティーヌ:佐々木和葉、ジャヴェールは三木が両日出演)。
ここで注目されるのは、踊りもさることながら演技について。それぞれの役をわが物とし、佇まいの端々や衣装の着こなしに至るまでの細かな所作に至るまで物語と振付になじませている。アンサンブルの演技もフランス革命期のパリという舞台内の現実を確かに伝えていた。 バレエという芸術はいうまでもなく西洋に端を発する。
容姿や踊り手の体型的な相違は否めない。東洋の島国である日本の踊り手が西洋文化や社会が描かれた作品のなかに溶け込み違和感なく存在することも容易ではない。バレエという芸術=洋服とすれば、日本人には不利である。
今年創立60周年を迎えた谷バレエ団の創設者・谷桃子は戦後を代表するプリマであり、バレエ芸術の普及に多大な貢献を果たしているのは周知の通りだ。谷とバレエ団の仕事を振り返ると、いかに西洋の洋服を着こなし、身体になじませ、人間感情をいきいきと伝えるかの苦闘の歴史であったともいえるかもしれない。外見は洋服でも中身は日本人の心を持つ。そうすることで観客の感情に強く訴えかけられるのではないか。

Coral Reef

谷バレエは古典作品とともに創作作品にも長年力を入れてきた。ことに異才マッツ・エックの母であり前衛的創作で知られた女傑ビルギット・クルベリ振付の名作『令嬢ジュリー』『ロミオとジュリエット』をいち早く日本に紹介し、折にふれて再演を続けるのは谷バレエ団の重要な業績のひとつである。そこでも高度な演劇性を備え、西洋の物語のなかに息づくことが求められよう。
老舗の谷バレエには、演技に対するこだわりやエスプリが蓄積され脈々と受け継がれている。『レ・ミゼラブル』は、その延長線上に生まれたものだ。西洋の物語を、本質を損なうことなく、そのうえで日本人の感性を通して表現し、観る者に深く訴える。座付き(団付き)の望月の振付作品であることが団にとっては誇らしいであろうし、喜ばしい。創立60周年記念公演シリーズの掉尾を飾るにふさわしい舞台である。 終演後、谷が舞台に上がり挨拶を行った。戦後の焦土、貧しさのから復興していくなかで、バレエを通して社会と向き合ってきた谷とバレエ団の歩んできた道程を振り返える。そして、創立60周年記念シリーズを終えてさらなる先を見据えた力強い決意を表明した。来年新春に卒寿を迎える谷であるが、バレエへの意欲はいささかも衰えることはない。