大人からのバレエ推進委員会監修

高橋森彦のバレエ&ダンスの逍遥

宮操子 三回忌メモリアル「江口・宮アーカイヴ」
〜現代舞踊の先駆者の偉業を検証し未来へ繋ぐ

日本洋舞史における江口隆哉と宮操子の位置

いまからさかのぼること100年前の1911年3月、東京・丸の内に本邦初の西洋式演劇劇場・帝国劇場が開場した。 歌舞伎やシェイクスピア劇とともに歌劇も上演され、開場翌年には、イタリアから教師としてジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーを招聘する。 ローシーの指導を受けた歌劇部のなかから石井漠、小森敏、沢モリノ、それに高田雅夫、高田せい子といった舞踊家が育ち、わが国の洋舞の基礎を築く原動力となっていく。 そして、高田雅夫・せい子門下であった江口隆哉(1900〜1977・青森県出身)・宮操子(1907〜2009・岩手県出身)夫妻は、1931年に舞踊研修のため渡欧し、マリー・ウィグマンに師事してドイツ式モダンダンスを学ぶ。 帰朝後は、江口・宮舞踊研究所を開設して数々の舞踊作品を創造し、また、独自の舞踊理論指導法の確立によって、多くの後進の舞踊家を育てた。

伝説の作品、蘇る

わが国洋舞界の先駆者たる江口・宮の功績には輝かしいものがある。 が、舞踊という芸術は、はかないもの。伝承されなければ、作品は消えていってしまう。 主に昭和初期〜中期にかけて上演されていた江口・宮作品は幻となりつつあった。 そんななか、2009年に天寿を全うした宮の3回忌を迎え、古参門下中心に江口・宮の作品を「現代に生きる舞踊」として再現する試みが行われた。 題して「江口・宮アーカイヴ」。世話人代表を務めた握見利奈、 主導的役割を果たしたという金井芙三枝はじめ五十嵐瑠美子、池田端臣、正田千鶴、中篠富美子、西田尭、牧野京子、三上弥太郎による世話人会が有志の協力を得て作品を振り起し、 多くの中堅・若手世代の踊り手たちが踊り、伝説の作品が蘇ったのだ。

郷土芸能に取材した、荘重にして刺激的な作品

三部構成の最初に上演されたのが江口の『日本の太鼓』(1951年初演)。岩手の郷土芸能「鹿(シシ)踊り」に取材した創作である。 伊福部昭の音楽(1950年代に江口・宮舞踊団が地方公演で使用したモノラル録音)の、 荘重な響きにのせて、親鹿(大神田正美)、女鹿(坂本秀子)と松永雅彦、長谷川秀介、木許惠介、山本裕、鈴木泰介、岩澤豊による六人の鹿が、 大きく突き出した角を付け、袴姿で太鼓を打ち鳴らしながら踊る。緻密に組上げられた群舞の迫力と、摺り足や重心低い動きなどを融合した振付は、 いま観ても新鮮だ。民族的な郷土芸能と欧州の最新の舞踊技法が見事に結合している。伊福部音楽一流の変拍子にのせて、太鼓を叩き踊る場には、ゾクゾクするような快感すら覚えた。

観る者を圧する怒涛の群舞

今回の企画の眼目のひとつが第3部、江口の『プロメテの火』(1950年初演)の再現上演である。 ギリシャ神話の世界に材を取った全7景からなる大作で、江口・宮舞踊団の代表作であり、神に反旗を翻すプロメテ役に扮した江口が片手で松明を掲げる姿を捉えた写真はあまりにも有名である。 長らく上演が途絶えていたが、今回は第3景「火の歓喜」の場面が再現された。初演時には60名を擁したという群舞を、坂本秀子の指導のもと、若くこれからの現代舞踊を担っていく精鋭30名が踊る。 その怒涛の迫力たるや観るものを完全に圧したといっていい。燃え盛る炎の前で、簡素な衣装で肌を露出させた男女たちが勇壮に踊る。刻を追うごとに歓喜の渦が観る者にじわりじわりと迫ってくる。 オーソドックスながら明確なコンポジションに基づいた群舞表現に有無言わせぬ説得力があった。

江口・宮の精神・魂を未来へ繋ぐ

第2部では、江口・宮自身が踊った小品が上演された。宮の『春を踏む』(1943年)、『タンゴ』(1933年)、江口の『スカラ座のまり使い』(1935年)。 珠玉のソロ作品は誰にも継承されずまさに幻となっていた。今回は、各作品を3人の踊り手が異なる振付で踊る趣向で、江口・宮本人の踊った振付に極力近いものから作品のモチーフを踊り手個々が自由に解釈した変奏版まで多彩だ。 『スカラ座のまり使い』では、まず、原典に近いという振付で木原浩太が踊る。毬が鮮やかに目に浮かぶかのような飄逸な踊りに惹かれた。 その後、花輪洋治・藤田茂時によるデュオ版、佐藤一哉によるくだけたタッチの変奏版と続く。宮の『タンゴ』を自らの感覚で踊った内田香の演技も鮮烈だった。 髪を振り乱して激しく踊り、空を切り裂かんばかりに高々と足を挙げる。音楽と自在に戯れ、こみあげてくるかのような情熱を雄弁に物語った。 宮の孫弟子世代で現代を代表する舞姫たる内田がクールかつ情熱的に踊る姿に、現代舞踊百年の伝統とみずみずしい現代の息吹が交差する。 「百年一瞬」という感慨を覚えた。他にも日替わりで何人もの踊り手が各作品を踊ったが、江口・宮が作品にこめたモチーフを大切にしつつのびのび踊る。 評論家の藤井修治によると、宮は「現代芸術は作者が死ねば作品もおしまい」と語っていたという。舞踊家はそれぞれ固有の身体を持つ。 一代限りのものというのも真理である。過去に拘泥し、形を受け継ぐことのみに陥ると、現代芸術は形骸化する。 その点、彼ら彼女たちの踊りからは、偉大なる先駆者に敬意を払いつつも自由で健全な気風を感じた。江口・宮の精神・魂が未来へつながったのではないかと思う。

洋舞100年、そして、さらなる先へ

他に江口・宮の門下生であったヨネヤマママコのマイム『恋の曲芸師』、伏屋順仁『牧神-恩師への即興詩-』というベテランによる献舞が行われた。 『日本の太鼓』の録音エピソードや戦時下、中国への慰問公演を行った江口・宮舞踊団の知られざる歴史の披露、関連資料の展示もあり、江口・宮の芸術の業績を多層的に紹介する機会ともなった。 来年、わが国に洋舞が入ってきて100年(ローシーの来日を起点とする説が一般的)を迎える。洋舞史を振り返り、新たな展開を見通していくうえでも視座となる得難い場であったといえるだろう。

(2011年5月15日 日暮里サニーホール)

「江口・宮アーカイヴ」
公演特設ホームページ
http://sites.google.com/site/eguchimiya/

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