湯川麻美子インタビュー
~新国立劇場バレエ団で過ごした18年~

新国立劇場バレエ団を代表するダンサー湯川麻美子さんが2015年4月の『こうもり』を最後に舞台から退くことになりました。バレエ団結成と同時に入り、4代にわたる芸術監督の下で活躍されてきた湯川さんに、ご自身とバレエ団の歩みを振り返っていただくとともに『こうもり』にかける思い、今後の展望等をお伺いしました。

湯川麻美子(ユカワ・マミコ)
新国立劇場バレエ団プリンシパル

兵庫県出身。江川バレエスクールにて江川幸作、江川のぶ子に師事。1990年ベルギーのアントワープ・バレエ学校に留学し、モナコでもマリカ・ヴェゾブラゾワの指導を受ける。翌年英国ロイヤルバレエ学校に移り、92年に帰国。86年全国舞踊コンクール第2部第2位、91年ウルガット国際バレエコンクール(フランス)ジュニア部金賞、振付賞などの入賞歴がある。95年にカナダのブリティッシュ・コロンビア・バレエとの契約を経て、97年に新国立劇場バレエ団入団。ローラン・プティの『こうもり』、石井潤『カルメン』やビントレー『カルミナ・ブラーナ』『アラジン』、ウォルシュ『オルフェオとエウリディーチェ』で主役を踊ったほか、ビントレー『パゴダの王子』皇后エピーヌ役、イーグリング『眠れる森の美女』カラボス、マクミラン『マノン』レスコーの愛人など重要な役柄を踊っている。また、ドゥアト振付作品ほか現代作品でも高い評価を受けている。2006年ニムラ舞踊賞を受賞。11年プリンシパルに昇格。平成23年度第62回芸術選奨の舞踊部門で文部科学大臣新人賞を受賞。2015年4月バレエ公演『こうもり』での主演をもってダンサーとしての現役を引退することとなる。

――新国立劇場に入られた経緯は?

4歳でバレエに出会いました。小学生の高学年くらいの時にプロのバレエ・ダンサーになりたいと思ったのですが、日本では職業として確立していませんでした。コンクールに出て留学しカナダのバレエ団に入団しました。その頃、新国立劇場ができるという話を聞きました。私にとってバレエとは思っていることや役に対して「自分ならこうしたい」と人に伝えるツールでした。日本人として生れたのだから日本のお客様の前で伝えたいという思いが出てきました。オーディションを受けソリストとして入れていただきました。

――最初の頃の雰囲気はいかがでしたか?

人数に関して女性は今と変わらないくらいだったと思いますが、男性の契約ソリストは少なかったです。コンクールでの顔見知りや「青山バレエフェスティバル」で知り合ったメンバーも結構いました。ただ、それぞれ色々な所で学び踊ってきていた人が集まって一つのものを創らなければいけない。私はヨーロッパに留学していたので、ロシア・バレエのスタイル、メソッドについていくのが大変でした。でも、レッスン、リハーサルを重ねるにつれ互いを尊重し敬意を持っていましたし、良い意味でライバル心もありました。プライベートでも仲が良く、皆で海外旅行やキャンプに行ったりして絆が深まりました。

2012年5月バレエ公演「白鳥の湖」ルースカヤ(撮影:瀬戸秀美)

――1997年10月、開場記念公演『眠れる森の美女』を迎えた時の思いは?

優しさの精と宝石の踊りを踊らせていただきました。初日にオーロラ姫を踊られた森下洋子さんは子供の頃からバレエの神様のような存在だったので同じ舞台に立たせていただけるだけで感動しました。実は母親が末期の癌で入院し余命も限られていました。実家は関西なので母は観に来ることはできなかったのですが、「森下さんは本当に16歳の少女でお姫さまに見える。凄いんだよ!」と興奮して母に電話したのを覚えています。新国立劇場に入れていただいたのは運命的でした。諸先輩方が何十年計画で準備してくださってようやく誕生した場所です。自分たちがちょうどプロとして活動できる年齢だった。帰国せずに海外で踊り続けていたらどうなっていたか分かりませんが、一切後悔はありません。

――初代芸術監督の島田廣先生(2013年逝去)はチャイコフスキー・三大バレエをマリインスキー劇場から導入するなどロシア・バレエを基本にするという姿勢を打ち出し今日の礎を作られました。島田先生の思い出は?

普段のレッスンや個別のリハーサルをそんなにご覧になられないのですが、通し稽古の時にいらっしゃる。気になることを注意してくださったり、「もっとこうだよ」と言ってくださるのが嬉しかったです。先生がいらっしゃると、その場に緊張感が走りましたが、声を荒げてということは記憶にありません。穏やかに見守るような感じで見てくださいました。

――2代目の芸術監督・牧阿佐美先生は古典をベースにレパートリーを拡大されました。牧先生についてお話しください。

本当にパワフルな方です。『椿姫』や古典の改訂版も創られ、ご自身が稽古着姿で動いて振付してくださる。情熱をもって教えていただきました。世界中の作品を踊れたのは牧先生がコネクションをお持ちだからです。アシュトンの『シンデレラ』に始まってケネス・マクミランやアントニー・チューダーの作品をレパートリーに入れてくださった。私は古典よりもそういう作品が好きだしチャンスもたくさんいただきました。最初に大役をいただいたのは『シンデレラ』の仙女です。それから『リラの園』の過去の愛人。『こうもり』のベラに決まった時は、ローラン・プティさんの作品の主役をいただけるなんて青天の霹靂でした。ルディ・ファン・ダンツィッヒさんの『四つの最後の歌』などを日本にいながら踊らせていただけたのも牧先生のお力のおかげです。マクミランの『マノン』が日本のバレエ団で上演されるとは思ってもいませんでした。幸せでした。感謝しかありません。

2012年6月バレエ公演「マノン」(撮影:瀬戸秀美)

――牧先生の後任の芸術監督となるデヴィッド・ビントレーさんのお話を伺います。最初は牧先生在任中の2005年10月に上演された『カルミナ・ブラーナ』振付のために来られました。この時に抜擢された運命の女神フォルトゥナ役は代表作の一つとなりました。

最初にお会いしたのはキャスティングのためにいらした時でした。女性ソリストを集め冒頭のソロの映像を見せて「覚えて」とおっしゃった。映像に衝撃を受けました。ひとりの女性がハイヒールで目隠しをしている。セクシーなのに動き始めると段々男性的な振りが入ってくる。胸を打ち抜かれたくらいの衝撃を受け、この役を絶対にやりたいと思いました。振りを凄く速く覚えられたんです。運命の女神フォルトゥナをやらせていただけることになって嬉しかったですね。でも、あんなに大変だとは思いませんでした。最初の場面はハイヒールでチュールの目隠しをしています。ピンスポットがあたると照明がチュールに跳ね返ってハレーションを起こし、ほとんど目潰し状態です。ふくらはぎが攣ってしまいそうな高いヒールで踊ったあとにポワントをはいて踊ります。その後に早替えがあって、またハイヒールを履いて最初と同じ振りをしなければならない。大変ですね。でも、フォルトゥナに出会えたことは私のキャリアの中でもすごく大きなプレゼントです。

2014年4月バレエ公演「カルミナ・ブラーナ」(撮影:鹿摩隆司)

――フォルトゥナを通して何を表現できたのでしょう?

運命の女神って一体何なのか?人じゃないし、動きもいわゆるバレエの動きではないし、男性でも女性でもないと私は思っています。セクシーだし、神秘的でもあるし、毒々しくもある。そういうことを妄想することが好きなんですね。このパをいかに上達するかという練習よりも、そういうことを考えるのが好きで、そうすると体も自然に動きます。第3神学生と赤いドレスで踊る場面等にも凄く可愛らしい部分や小悪魔的な部分もある。女性にも多面性があるし人や色々な物事には表側も裏側もある。すべてを描いているような気がする。どんどん膨らんでいく役なので再演を重ねるごとに考えました。最初のソロだと一人でどう劇場空間を支配できるか、お客様をどれだけひきつけられるか――。ビントレーさんも一つひとつの振りを「翼がこう折れるような」とか「手をこうやって開くのはタロットか占いのカードを開いている。それが運命の歯車を回していて……」とか、説明はしてくださいますが、どんな役で、どういう風に踊ってほしいとはおっしゃらない。

――ビントレーさんが芸術監督に就任されると決まった時は?

凄く嬉しかったです。牧先生は私たちにとって大きな存在だったので退任されるのは寂しかったですが、次はどなたになるのだろうと。監督が変わるとレパートリーも変わる。ダンサーにとっては大きなことなので。ビントレーさんに決まって彼の作品をもっと踊れるだろうと思いました。ビントレーさんのおかげで私のダンサー寿命は延びたと思います。

2010年5月バレエ公演「カルミナ・ブラーナ」(撮影:瀬戸秀美)

――ビントレーさんとの思い出を教えてください。

『アラジン』(2008年)、『パゴダの王子』(2011年)にファースト・キャストとして関わりました。「こうやって、こうやって」と振り付けられていくのですが「ここからこういう風にしたいけど、僕は踊りの一番最後を振り付けるのが嫌いなんだよ」と、いつもおっしゃいます。「インスパイア ミー、 麻美子!」と言われて「私だったら、次は体がこう動く」みたいに一緒に創っていく。ともに創ることを許してくださり、ダンサーからも刺激を得たいと思っていらっしゃる振付家。でも、ご自分が納得されないと、それをどこまででも求められる。『パゴダの王子』で私の踊った皇后エピーヌは、マクミラン版と違って継母という設定なので人物像も自分で創っていくんです。共に作品を創り上げ生み出すことができ宝物のような時間でした。ビントレーさんの作品の一番好きなところは非常に音楽的なところです。音楽に造詣が深く、ピアノの音だけでリハーサルをしていると、オーケストレーションとか聞こえない音があるのですが、それも頭の中では流れていらっしゃる。

――ビントレーさんは自作だけでなく20世紀以降の作品やコンテンポラリーダンスを積極的に紹介しました。芸術監督としてのお仕事をどのように感じていましたか?

ビントレーさんはこうおっしゃいます。「僕にとっていいダンサーとは、決して技術だけが高くて動けてというのではなく、僕を刺激し、インスパイアし、クリエイティブで知的なダンサー」。だから階級に分かれていましたが皆にチャンスがある。若手のモチベーションは上がったと思いますし、ノーブルな王子ができなくても、お姫様みたいなタイプじゃなくても作品の中で輝くことができる。私たちも刺激されて次の作品、また次の作品へと挑むことができたと思います。外への発信にも力を入れていました。お客様に古典だけではなくて新しい道へとご案内するという点でもご一緒できたと思っています。個人的な話ですが……私は『白鳥の湖』などの古典で主役をできるタイプではありません。牧先生の時代から私に合う作品の場合に主役をいただいてきましたが個性が強い方だと思います。そういう私をプリンシパルに任命してくださっただけでも驚きなのに「麻美子はバレエ団に凄く大きなプレゼントをした人だよ。その功績を称えたい」と言っていただき涙ぐんでしまいました。

2011年10月バレエ公演「パゴダの王子」(撮影:瀬戸秀美)

――2014/2015シーズンに大原永子先生が4代目の芸術監督に就任されました。大原先生はバレエ団の初期からバレエミストレスを務められていますね。

大原先生には20代の頃から励まし叱っていただきました。現場で身近に指導してくださっている先生なので、就任されると聞いた時には皆飛び上がって拍手という感じで嬉しかったです。実はこの2、3年で同期のメンバーがいなくなったこともあり、先シーズンの最終公演『パゴダの王子』で引退を考えたのですが、大原先生が監督をなさるのなら1シーズンでいいから先生のもとでダンサーとして過ごしたかった。先生も認めてくださいました。オープニングの『眠れる森の美女』でカラボスの役をいただき、公演の時に先生がカードをくださって「あなたが踊ってくれることがうれしい」と書かれてあり泣きました。

――大原先生の芸術監督としての様子はいかがですか?

最初から「クラスも教えるしリハーサルも見るわよ」と。時間の許す限り現場で今まで以上に指導してくださる。そこが凄いと思いますし心強いです。いつも現場でご覧になっていると、ちょっとしたダンサーの変化をすべて把握なさっているので、体のことだけでなく精神的なことも手に取るように分かっていらっしゃると思うんですね。ダンサーにとっては誤魔化せないので厳しくもあり、また凄く安心して身を任せられる部分でもあります。

2012年4月ダンス公演「Ag+G」(撮影:鹿摩隆司)

――2015年4月の『こうもり』を最後に引退されます。

いつまで自分が毎日120%でいけるかという肉体的な不安はあります。致命的にどこかが駄目ということではないのですが、20代の時と違ってメンテナンスが大変だったりします。バレエ団に所属するというのは、一つの演目、一つの舞台を踊るだけではありません。どんなに体の状態が悪くても痛くても動かせるのは精神力なんですよ。絶対にこの役を成功させたい、お客様の前に立ちたいという気力です。それを18年やってきて、正直疲労もたまっていますし、私にとって表現を伝えるツールがバレエなので、自分の体で思うように表現できるところで線を引きたいという思いもありました。大原先生の下で卒業でき、主役デビューした『こうもり』の5回目で引退できるのを幸運だと思います。今の所ほかに舞台に立つ予定はなく、この舞台でダンサーを引退しようと考えています。

――『こうもり』ベラへの抱負をお話しください。

最初に演じたときは20代半ばでした。ベラには5人の子供がいます。夫婦間が倦怠期にあり退屈している奥さんの役なので背伸びしてがんばりました。付きっきりで指導してくださったルイジ・ボニーノさんに「これは喜劇だから」「お客様を笑わせる喜劇はとても難しいから」と。さじ加減が難しくて粋(いき)にみえるかベタに見えるか……。回を重ねるとプライベートでも女性として色々なことがありました。もっと肩の力を抜いてベラになれる気がします。ここまで踊れてこられたのは自分だけが好きで続けてこられたからではありません。お客様がいないと公演は成り立ちませんし、プロになるまで支えてくださった方々や踊ることだけを考えられる環境を与えてくださった新国立劇場のスタッフの方、現場で出会ったすべての方、そして仲間たち……本当に感謝しかないです。「ありがとうございます」という気持ちが伝わるような舞台になればいいなと思います。

2012年2月バレエ公演「こうもり」(撮影:鹿摩隆司)

――新国立劇場バレエ団の後輩、それにプロのバレエ・ダンサーを目指している若い方にメッセージをお願いします。

私たちが第一歩を歩き出して18年になります。ちょうど子供が生まれて高校を卒業するくらいですよね。ここからまた成長してバレエ団が大人になっていく気がします。もう18年ではなく、やっと18年。ずっと続いていってほしいし、新国立劇場に来たら色々な作品やダンサーを観ることができて「バレエって楽しいんだよ」って言っていただけるバレエ団であってほしい。後輩たちには辛いことのほうが多いと思います。だけど18年を振り返ると、辛いことも悔しいことも悲しいことも決して無駄ではないし他からは得られない、味わえない幸福感や達成感がある。どんなに辛い時でも前向きにがんばっていってほしいし、くじけたら、ころんじゃったら起こして支えてくれる仲間がいる。この劇場で踊っていることに誇りを持ってお客様に最高のものをお見せできるように日々がんばっていってほしい。若くてダンサーになりたいと思っている方には皆最初に「新国立劇場に入って主役を踊りたい!」と思ってくれる憧れの場であってほしいですね。

――今後の予定・展望を教えてください。

バレエには携わっていきたいと思います。ただ、引退公演の後のことはさっぱり考えていません。これまでは肉体的にも精神的にも常に次の公演のことが頭にありました。緊張感から解放される時間はなかった。最後の舞台を終えたら、そういうことからすべて解放されることを味わいたい。そのあと何かをしたいと思うかもしれないし、自然に任せようと。子供の頃からバレエを選んだがゆえに経験していないことがたくさんあると思うんです。今からでもできることはやってみたいというのもありますね。指導したり振付したりは続けていきます。この劇場で学んだことを子供たちに伝え、さらに広げていきたい。ダンサーとして舞台に立つキャリアはここまでですが、人として色々と経験し、新国立劇場での出会いや出来事を糧にして、これからの人生を豊かにできれば良いなと思います。

『こうもり』公演情報

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  • 音楽:  ヨハン・シュトラウスII世
  • 指揮:  アレッサンドロ・フェラーリ
  • 振付:  ローラン・プティ
  • 出演:  新国立劇場バレエ団
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  • 日時:  2015年
  •      4月21日(火)19:00
  •      23日(木)19:00
  •      25日(土)13:00&18:00
  •      26日(日)14:00★
  •      ★湯川麻美子主演
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  • 料金:  S席 10,800円
  •      A席 8,640円
  •      B席 6,480円
  •      C席 4,320円
  •      D席 3,240円
  •      Z席 1,620円
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  • 新国立劇場ボックスオフィス(受付時間10:00~18:00)
  • 03-5352-9999
  • http://nntt.pia.jp/
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  • 新国立劇場バレエ団
  • http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/
  •  
  • 『こうもり』特設サイト
  • hhttp://www.nntt.jac.go.jp/ballet/komori/