笠井叡(舞踏家・振付家・オイリュトミスト、天使館主宰)ロングインタビュー ~デビューの頃から初のセルフコレオグラフィーとなる『冬の旅』まで【前編】

 古希を越えても毎年のように話題の公演を世に問う笠井叡(かさい・あきら)さん。若いダンサーとのコラボレーションも多い笠井さんが、きたる2016年2月12日(金)~14日(日)、東京芸術劇場シアターイーストで初のセルフコレオグラフィーによる新作ソロ『冬の旅』(フランツ・シューベルト曲)を発表します。舞踊活動の軌跡や今考えること、『冬の旅』への抱負を語っていただく全2回のシリーズの前編では、ダンスを始めた頃から渡独時代を経た1990年代半ばの頃までのお話を伺いました。

取材:高橋森彦(舞踊評論家)

笠井叡 Akira Kasai 撮影:神山貞次郎

ダンスを始めた頃

 未だにダンスをやっているという実感がなく、未だにダンスを探しているというのが正直な気持ちです。どうしてダンサーになったかというと消去法。映画俳優を目指すも即断念し演劇に挑戦したけれども駄目でした。高校卒業時に誰かに勧められてダンスをやろうと思いモダンダンスの江口隆哉先生に習いましたが、それも自分のやりたいことなのか分からない。パントマイムのジャン・ヌーボー(太田順造)さんに出会ったり、舞台に出たり、テレビのレギュラー番組を持ったりしましたが、何をやっても自分にピタリときませんでした。

『七つの封印』(1973年)より 写真:神山貞次郎

大野一雄に入門

 江口先生の所に通っている時、「舞台の上から牛肉をぶら下げて小指だけで踊っているお爺さんがいる」と聞きました。それが大野一雄先生だった。上星川の稽古場に伺ったら、この世で今まで出会ったことがないくらい優しすぎる。即弟子入りしました。
 大野先生の所で3年間位レッスンを受けました。行きだけの電車賃を持って帰りに電車代と煙草を5、6本貰った。レッスン代を払えなくなるとタダでいいからと。夕飯を食べさせて貰ったりもしました。どうしてこういう優しい人間がいるんだろうなと。大野先生は弱者や犯罪者、社会的に弱い人に対する視線が普通の人とは違う。新聞の三面記事を見て、あらん限りのイマジネーションを働かせ、その話が延々と続く。「笠井さん、私はね、ありとあらゆる悪徳の限りを尽しました…」と18、19のガキに話す訳ですよ(笑)。
 大野先生は踊りを創る時、コオロギ一匹を採ってきて「私のお母さんにみえる」「どうして私とこのコオロギが出会ったのか」とおっしゃる。私が入門する前年に大野先生のお母さんが亡くなられていたのですが、当時それを知りませんでした。
 大野先生にとって一番の原点はニューギニアでの戦争体験です。同胞が何千人と死んでいく中で死に様を一つひとつ見て、大きな魚を獲ってきたら、それをどうやって200人の兵士に食べさせられるかを考える。そういう出来事の中で大野先生の踊りがある。凄いことだな、これを人生の中でどう生かしたらいいのかと。そこから先に行かない。生きることのどん底まで来たな、という感じがある訳ですよ。これ以上下に堕ちようとすると何ができるかというと、生きることを止めるしかない。やれることは体を動かすことしかないと思いますが、私にはそれをダンスとは思えませんでした。

『幻想庭園』(1974年)より 写真:神山貞次郎

暗黒舞踏の創始者・土方巽との出会い

 1963年の12月、土方巽さんに出会いました。大野先生の所で稽古を終えてご飯を御馳走になっていたら、目つきが悪く、アロハシャツ、タオル地のポロシャツに鼠っぽいジャケットを着て慎太郎刈りをした男が来ました。絶対に犯罪者だなと(笑)。土方さんに何がしたいのかを聞いたら「犯罪ダンスしかない、自分のダンスがいかに犯罪になり得るか」。そうした縁で、高校を出てから2年して通い始めた明治学院大学は目黒にあるので、なんとなく近くのアスベスト館に行くようになって、土方さんとの付き合いが始まりました。
 『バラ色ダンス』(1965年)『性愛恩懲学指南図絵―トマト』(1966年)で土方さんのダンスの創り方を体験しました。土方さんはどういう振付をやるかというと(立ち上がり、腕を振り回して、空間を切り裂くような動きをする)、こんな感じなんですよ。でっかい巨大なサバをさばく感じ。絶対に振付を直さなくて3回やっておしまい。衝動で何かを創っているのを感じればいいんです。空間という生きたサバがいて包丁でガッ、ガッ、ガッとさばいていく。それがダンスになる。土方さんに学んだのは振付のやり方です。

『黄泉比良坂』(1975年)より 写真:神山貞次郎

デビュー・リサイタル

 処女リサイタル『磔刑聖母』(1966年)をやろうと思ったのは、土方さんの踊りの創り方でいいのかな?と思ったからです。土方さんは美術作品を舞台にのせて、ダンサーの体に美術品と対等に置かれるような物質性を負わせる。人間であることを剥奪される側面があり、振付のやり方とダンサーの舞台への乗せ方に若干のズレがある。土方さんの舞台は素晴らしいけれど、それに命を賭けようとは、思えませんでした。
 土方さんに「自分の会をやります」と言うと「俺が振付する」とおっしゃられました。大野先生も「私も振付をやりましょう」と。1人で自分の踊りをやりたいと言うと土方さんは不服そうでしたが、制作を請け負ってくれました。大野先生には「あなたが踊ると絶対に即興になる。自分が振付をするよ」と言われ、振付をお願いしました。
 その時初めて大野先生の振付を受けました。大野先生は音楽に振付する。「アランフェス交響曲」を使ったのですが、手とり足とり具体的に振付してくれました。土方さんは衝動が無ければ駄目でしたが、大野先生は形がきちんとしていなければならない。土方さんの振付は絵画的で、大野先生の振付は音楽的です。即興のやり方を学んだのも大野先生です。体の中に踊りのエネルギーを見つける。簡単には動かないで、エネルギーが体の中に出てくるまで小指だけで踊る。指先にエネルギーが乗ったら、そこからドッと入っていく。この大野先生のエネルギーを生み出す即興の方法と、土方さんの振付のやり方が私の踊りの出発点です。
 処女リサイタルは土方さんが制作したのでとんでもない人たちが来ました。瀧口修造さん、加藤郁乎さん、富岡多恵子さんといった詩人・俳人や現代思潮社の社長の石井恭二さんとか澁澤龍彦・矢川澄子夫妻らがズラッと。私の中では新しいものは出なかったと思いましたが、その後毎年会をするようになりました。即興だけで1人で一晩踊っていたのは当時珍しかった。1978年位まで続けていました。市川雅さん(舞踊評論家)らが評価してくれましたが、自分でやるべきことはこれだという自信は全くありませんでした。

『個的秘儀としての聖霊舞踏』(1976年)より 写真:神山貞次郎

人智学への傾倒、渡独

 ある時、公演のあとのロビーで、澁澤さんがルドルフ・シュタイナーの研究をしている高橋巌さんを紹介してくれました。お話すると私と共通の考え方をしていた。その頃、日本にはオカルティズム、神秘学と呼ばれる学問はありませんでした。自分の考える神秘学とは、体と言葉の結びつきに法則があるという直感。具体的に言えば「あ・え・い・お・う」という母音があるのは、ある1つの法則に導かれていて、それが体と何らかの形で関連がある。
 私は「体で何ができるか」には全く関心がありません。「体が何なのか」をやりたい。高く跳べるとか、何かを表現できるという、いわゆる「ダンス」に関心がなかった。それが明確になったのは1970年代後半です。ただ、そのことを閃いてすぐに著作に取りかかっていました。「天使論」(1972年・現代思潮社)を処女リサイタルが終わった辺りから少しずつ書いていたんです。当時はなぜ書いているのかの自覚も無かったのですが、自分が「体は何なのか」に関心があると初めて分かりかけました。
 分かったのは、自分は、お父さんとお母さんが受精行為をして、そこから生まれてきたのでは無いということ。その前から自分はいたけれども、人間として生まれてくるには人間の創った受精卵に受胎するしかないんだなと。受胎前の自分と、受胎中と、言葉を獲得している時の私と、獲得し終わって人間みたいなことをやっているという4つの自分という、うっすらとした予感ですね。人間は何かというと、この4つの体に尽きる。
 1979年、思い切って日本を離れドイツに渡りました。シュトゥットガルトのオイリュトメウム(オイリュトミー学校)で人智学を勉強しました。4つの体についての最も精神科学的な客観性を持った学問体系です。納得いくまでやろうしたら6年かかりました。

『物質の未来』(1976年)より 写真:神山貞次郎

帰国し舞踏活動を再開

 1985年に帰国しましたが1994年の『セラフィータ』までオイリュトミーの公演を除いて舞台活動はやりませんでした。市川さんとお話したりしているうちに国際夏期舞踊大学の講師を頼まれ、そこで木佐貫邦子さんと一緒になって彼女と共演することになったり、詩人の吉岡実さんが亡くなって追悼公演をしたりするうちに舞台に戻りました。
 『セラフィータ』は自分でもよく分からなかった。15年ぶりの割には舞台でやりたいことはこういうことなのかな?と納得がいかなかった。溜まっていたものが爆発したみたいな現象があったかもしれないですが失敗作。もう少し丁寧に作品を創ろうと思いました。
 以前と共通していたのは自分の踊りは即興でしか踊れないことです。今に至るまで即興でしか踊れていません。振付は好きなので伊藤キムさんとの『銀河計画』(2002年)やファルフ・ルジマトフの『レクイエム』(2004年)もありましたし、私自身は踊っていませんが『nobody Eve』(2003年)や『Utrobne~虚舟~うつろぶね』(2011年)もあります。ただ自分で踊った『花粉革命』(2001年)や『日本国憲法を踊る』(2013年)は全部即興です。
 何も変わっておらず進歩がない(笑)。未だに高校を卒業した時に何をやるのかを考えた原点にしかいない。結局、踊りって、そういうものなんです。残らないでしょ?音楽や演劇と違い一回性で、こうやってお話しているのと同じように消えて無くなっていく。水に描く絵みたいなものです。「水に消えるダンス」を残そうなんて気持ちは毛頭ありません。

現在の関心や最新作『冬の旅』については【後編】に続く。

【公演情報】

笠井叡最新公演 F.シューベルト歌曲『冬の旅』全24曲
構成・演出・振付・出演  笠井叡
映像           高橋恭司

F・シューベルト歌曲「冬の旅」全 24 曲
D・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
A・ブレンデル(ピアノ) 1985 年録音盤使用
2016 年 2 月 12 日(金)~14 日(日)
12 日(金) 19:30 / 13 日(土) 15:00 / 14 日(日) 15:00
(開場は開演の30分前。受け付け開始は開演の1時間前)
東京芸術劇場 シアターイースト (東京・池袋)
全席指定《前売》一般 3,500 円 学生:3,000 円 《当日》4,000 円
※ 未就学児童のご入場はご遠慮頂いております。
※ 学生チケットはハイウッドのみ取扱
チケット取扱・お問合せ
ハイウッド 03-3320-7217(平日 11:00~19:00 ) その他の取扱 東京芸術劇場ボックスオフィス/ カンフェティ
主催:一般社団法人天使館 http://www.akirakasai.com/