笠井叡(舞踏家・振付家・オイリュトミスト、天使館主宰)ロングインタビュー ~デビューの頃から初のセルフコレオグラフィーとなる『冬の旅』まで【後編】

 古希を越えても毎年のように話題の公演を世に問う笠井叡(かさい・あきら)さん。若いダンサーとの共演も多い笠井さんが、きたる2016年2月12日(金)~14日(日)、東京芸術劇場シアターイーストで初のセルフコレオグラフィーによる新作ソロ『冬の旅』(フランツ・シューベルト曲)を発表します。舞踊活動の軌跡や今考えること、『冬の旅』への抱負を語っていただくシリーズの後編では、「舞踏」への思いや長年指導を続けるオイリュトミーのこと、若い世代との交流や今の時代に対して感じること、『冬の旅』の創作について伺いました。
【前編】はこちら

取材:高橋森彦(舞踊評論家)

笠井叡 Akira Kasai 撮影:神山貞次郎

自らのダンスを「舞踏」と名付ける

 デビュー・リサイタル『磔刑聖母』(1966年)の時に自分のダンスを何と表記しようかとなりました。モダンダンスでもないし土方さんがやっている<暗黒舞踊>でもない。「踊」というのは横にヒラヒラじゃないですが蝶々が舞うみたいな横に広がるイメージがある。私にとって大地を踏むイメージが強かったので「舞踏」でいこうと決意した。土方さんに話すと「いい!」となってお互いに共有し合った側面もあるんです。「あなた舞踏家ですよね?」とかいう言い方は難しいですが、自分の中から生み出されているものに、そういう名前を与えたのは確かです。未だにそうなのですが、人間として体を持ったことに対しての意味とか責任ではないですが、こういう形で済むのかというのは分からないですね。

オイリュトミーを体作りの柱に

 (ルドルフ・シュタイナーによって生み出された)オイリュトミーに関しては作品創りで無くて体作りだと考えています。ダンサーの体を作るメソッドとしてクラシック・バレエがあり、それなりに有効で、バレエを踊らない人でもやります。(高校卒業後に入った)江口隆哉先生の稽古場を辞めた後、千葉昭則先生にバレエを習いました。千葉先生はパリ・オペラ座の指導法をご存知で、そこでバレエを少し体にいれたのですが、技術だけの世界には入りきれなかった。でもバレエの基礎的な部分は体の中に入れたと思います。
 体作りに関してはバレエの他にも方法が沢山あると思います。ヨガでも太極拳でもいいし合気道でも武道でもカンフーでもカポエラでもヒップホップでもいい。クラシック・バレエは、ある種の普遍性を持ってしまっている。今の時代、生活の仕方においては皆ヨーロッパみたいなのでバレエが一本の柱にありますが、もう一方の柱にオイリュトミーがあると思います。オイリュトミーの体の作り方はバレエとは全く正反対で、体の外側からではなく体の内側から作っていく。感覚器官と人間の声が体を作る。1つの科学的な身体学と共に感覚と声が体をどう作っていくか。今の若い人たちにやって貰う価値があります。
 私はバレエとオイリュトミーの両方があっていいと思います。バレエだけでは固くなってしまうしオイリュトミーだけだと弱い。天使館は学校なので授業の一環として毎朝バレエのレッスンを必ずやります。バレエという柱と感覚と声の柱の両方あるのがいい。

『花粉革命』(2001年)より 写真:神山貞次郎

若い世代との交流、彼らへのメッセージ

 色々な年代の人たちとの出会いが豊富にありますが、年代の違いを感じたことは無いんです。「こういう年代だから、こういう付き合い方をしよう」「この人たちはこうだから…」とはあまり考えません。考えるのは今の時代の空気を互いに共有しているということです。
 (三男の)笠井瑞丈や上村なおかさん、黒田育世さんのBATIK、『Utrobne~虚舟~うつろぶね』(2011年)に出た人たちは若いし私とは違った感性を持つ人です。この人たちはどういう時代を呼吸しているのかなと。その部分を知りたいし共有したい。ダンスは時代と一緒に生きています。「コンテンポラリー」というような言い方では括りきれなくて、時代を呼吸していればダンスは常に人間にとって必要。時代から離れてしまうと難しいですね。1にも2にも時代感覚。私も含めてですが、これから踊っていく人たちにとってもそうです。
 時代の変化の仕方は早いでしょ。歴史のほうが変わっていってしまって人間のほうが追い付かない。あまり良いことだとは思いません。人間が引っ張っていかないと駄目だと思います。現代の日本だって何が何だかわからない1つの力に引っ張られたりしている。それを元に戻さなければいけない。このままでは人間ヤバいな、と思います。

『日本国憲法を踊る』より 写真:伊藤 孝

社会との向き合い方

 社会と向き合っていないとダンスは始まりません。人間は個人ですが体は個人ではなくて共同体に属している部分がある。地球という共同体に属しているし、民族という共同体に属しているし、家族という共同体もある。
 ダンスを「作品主義」と「ダンサー主義」に分ける場合、「作品主義」には、その作品の中に社会的な問題がどう込められているか見れば分かる場合もある。怒りでもいいですが、体の中で噛み砕き、消化し、血となり肉となった形でエネルギーみたいなものとして出す。そうならないで作品化されると、ダンスなのか演劇なのか何をやりたいのかが見えなくなる。自分の考える社会的なもの、それに今現在の政治や社会的なものも含めて消化されない限り、そこになかなか結び付かない気はします。
 ここ1、2年の変化は物凄いですね。震災のことも含めてですが、70年生きてきて日本国内で戦争がなかったというのは不思議な気がします。それが、ここ数年、戦争の方向に一挙になだれ込んでいる。まさか、こういうことが起こるとは思わなかった。

『今晩は荒れ模様』(2015年)より 写真:bozzo

初のセルフコレオグラフィー『冬の旅』の出発点

 そもそもコレオグラフィーすなわち他人に振付するというのは、自分の動きを客体として見るからできる行為です。動きを客体として見られるか。それと自分自身に振付するのは即興とどこが違うのか?即興でやったことを何度も繰り返していることなのだろうか?振付の作業を半年くらいやっていますが(取材は2015年12月上旬)、即興でないことは確かです。でも即興とどう違うのか?ただ動きを決めただけなのか?決めると振付になる。決めるとは何なのかな?という所で今は作業をストップしています。
 自分の中で確かなのはフランツ・シューベルトの『冬の旅』という曲を選んでいること。正直に言うと『冬の旅』でなくても良くて何でもよかった。ただ『冬の旅』は2回(2005年、2006年)女性5人に振付しています。他人に振付したのだから自分に振付したらどうなるのかという試みでもある。それが『冬の旅』を選んだ1つの理由です。
 振付をする時、ダンサーに出会うと「この人にはこういう動きがいい」とすぐに分かるので全然苦労しないんです。たとえば白河直子さんに振付すると彼女から出てくるものを私が返している。自分が創っているというよりも人から香ってくるものを鏡のように映している。黒田さんの場合も同じ。自分に振付する時に自分の中から出てくるのは即興なんだよね。結局、今のところ即興で出てくるものを決めちゃったのが振付かな(笑)。でも、それをコレオグラフィーと言っていいのか、決められた即興というのかは曖昧です。

『今晩は荒れ模様』(2015年)より 写真:bozzo

音楽がないと振付ができない

 音楽を聴いていると「こういう動きだろう」というのが出てくる。私の振付は紛れもなく音楽に依拠しています。『今晩は荒れ模様』(2015年)も音楽とダンサーから香るものを結び付けている。『ハヤサスラヒメ』(2013年)はベートーヴェンの「第九交響曲』を用いました。自分に合ったぴったりの音楽がないと振付ができない。
 『冬の旅』の詩を書いたミュラーは錬金術の研究家です。『冬の旅』の歌詞は錬金術のアレゴリー(寓意)ということを多くのドイツ人は知っています。モーツァルトの歌劇『魔笛』と同じ構造です。全24曲を辿ると錬金術の過程が出てくる。3つの太陽とか鴉とか郵便馬車とか出てくる言葉はほとんど錬金術のアレゴリーです。今回、恋愛の物語という部分はほとんどありません。ただ隣に座っている制作の(笠井)久子と高校生の時に出会い喫茶店で聴いていたのが『冬の旅』なんです。一番聴きこんだ曲ではあります。
 24曲の中に「人間の体が何か」が書かれているのは確かです。「私はこの世のものではない」「この世のものではない人間がこの世にやってきて再びこの世のものではないものとしてここを去っていく」というのが冒頭の言葉です。これは先ほど言った(注:前編で言及)母親に受胎する前、体なんかもっていない存在が人間の世界に降りてきて、再びこの世の体ではないものとして去っていくということです。

『今晩は荒れ模様』(2015年)より 写真:bozzo

『冬の旅』本番に向けて

 多分即興でやっていることを決めているのだと思いますが、そのためには覚えなきゃいけない。覚えるのは結構大変で何百回と繰り返すでしょ?その繰り返すことの中に何か別の要素が入っている感じがします。即興と違う何かが生まれている。
 ダンスって「自分を他人のように扱わないとできない」とよく言われます。自分が自分である限りダンスは駄目で、自分を他人のように扱って初めて踊れるみたいな。私は自分を他人になんてできないと感じます。他人のようにはできるが他人にはなれない。一番のポイントは他人になり得るのかと。たとえば「神のように美しい」と言うのと「神」は全然違う。舞台に立った時、全然振付をやらない恐れもありますね(笑)。意地の悪い人は3回見に来てちゃんと振付を踊っているかを見ると言っています(笑)。
 「即興を裏返しにしたような振付作品であれば、と願っている」とチラシに記しましたが、そうなればいいなと。即興って、動きは内側から出てくる。それを裏返すとは動きが外側からやってくる。動きが外側からやってくるような即興という感じ。それに近いイメージで言えば季節みたいなもので、春夏秋冬で星座の位置が微妙に変わったり、見える位置が変わったりする。外から自分に関わってくる自然界が変わるので、そのように自分の動きが変わってくることが「即興を裏返す」という感じかな。
 それとチラシを作ったときにデザイナーが選んだ写真が高橋恭司さんの撮られたものでした。今回、全編ではありませんが高橋恭司さんの映像が入ります。自分の舞台で映像を使うのは初めてです。
 『冬の旅』が終わってからのことはあまり考えていないですね。今は時代が動くからこちらも動くということなので、何が出てくるのか予想が付きません。

【公演情報】

笠井叡最新公演 F.シューベルト歌曲『冬の旅』全24曲
構成・演出・振付・出演  笠井叡
映像           高橋恭司

F・シューベルト歌曲「冬の旅」全 24 曲
D・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
A・ブレンデル(ピアノ) 1985 年録音盤使用
2016 年 2 月 12 日(金)~14 日(日)
12 日(金) 19:30 / 13 日(土) 15:00 / 14 日(日) 15:00
(開場は開演の30分前。受け付け開始は開演の1時間前)
東京芸術劇場 シアターイースト (東京・池袋)
全席指定《前売》一般 3,500 円 学生:3,000 円 《当日》4,000 円
※ 未就学児童のご入場はご遠慮頂いております。
※ 学生チケットはハイウッドのみ取扱
チケット取扱・お問合せ
ハイウッド 03-3320-7217(平日 11:00~19:00 ) その他の取扱 東京芸術劇場ボックスオフィス/ カンフェティ
主催:一般社団法人天使館 http://www.akirakasai.com/