Ballet Factory

高橋森彦 バレエ&ダンス逍遥

矢内原美邦 ~新生Nibrollの目指すものとは

1997年に結成されたNibrollは振付家の矢内原美邦を中心に映像作家、音楽家、美術作家等で構成されるアーティスト集団として活動してきた。 異分野の表現が掛け合わさった刺激的な舞台によってコンテンポラリー・ダンスをリードし、アートやファッションの世界でも注目を集めている。 矢内原個人の活動としてoff-Nibrollでは美術を、ミクニヤナイハラプロジェクトでは演劇を手掛け、今春『前向き!タイモン』(上演台本)によって演劇界の若手登竜門・岸田國士戯曲賞を受賞。 まさに時代の寵児といえる。そんな矢内原が転機を迎えた。ディレクターが集うアーティスト集団であったNibrollがこのほどダンスカンパニーとして新たなスタートを切ることになったのだ。 矢内原に、その真意や今夏上演される新作公演について、さらに現在考えること、今後の活動展開等を忌憚なく語ってもらった。

このほどNibroll がダンスカンパニーとして再出発するに至った経緯をこう語る。

当初ニブロールはもっとフレキシブルで、いろいろなアーティストが関われる場所として始めました。しかし、ダンスに興味を持ち、なおかつクオリティの高いものを作る人があまりいないこともあってメンバーを固定していました。 そうなると同じことの繰り返しに近い感じになっていく。それにメンバーが集まらず稽古をやるにしても同じ速度で進まない。ダンスの後に付けてくることが何年も続きました。 身体表現の面でも「できることはこれ以上ないな」と思っていたメンバーがいたはずです。作品を作るのはストイックなこと。メンバーであってもいいものを作らないと駄目です。 大人なので喧嘩別れはしないけれども次は力を込めてできないとなる人もいる。燃え尽き症候群のようになる人もいる。どんな状況でも続けられる人は数えるほどです。そういった人たちとやっていきたい。 私はいろいろなアーティストと関わりたいし、もうちょっと自由にしたかった。いろいろなディレクターが関わるという作り方は変わりませんが、どのようにダンスや身体表現とリンクしていこうかを考えられる作家と仕事をしてみたい。 それと他の分野(の人)では助けられないことも多すぎた。ダンスをやっている人たちの力を借りないと、やろうと思うことができなので、ダンサーにも入ってもらってダンスカンパニーにしました。 ただしNibrollのメンバーだからといって毎回同じスタッフやダンサーが参加するわけではありません。

初期Nibrollではダンサーではない人を起用。走り、ぶつかり、倒れ、叫ぶといった動きを激しく続けるパフォーマーの存在感が圧倒的だった。 近年は確かな技量を持ったダンサーの登用が目に付く。ダンスカンパニーを標榜するにあたり創作に変化はあるのだろうか。

『駐車禁止』(2000年)のころはモチーフを作っても(パフォーマーたちが)動きができない。『COFFEE』(2002年)でもそう。その人たちにできることは何だろうといったなかで生まれてきたダンスの限界をある程度感じました。 ダンサーたちは10年前と明らかに違っています。ニブロールを始めたころは手塚(夏子)さんやたかぎ(まゆ)さんと「この動きはダンスじゃないよね?」といった話し合いになったりしました。 でも、いまの若い子たちはそのような(コンテンポラリー・ダンスの)公演を観たうえでダンスをやる人たちなので、さほど違和感なくなんでもやれる。叩いたり、のた打ち回ったりすることも厭わない。 振りが複雑になってもきちんとこなせる容量がある。やはりテクニックを持っていたり、訓練してきたダンサーを使うと、振付の幅がぐんと広がって自分の思っているイメージの動きはできる。 そこをうまく表現に変えて作品にしていきたい。どのように表現を付けるかが、いまの課題。もう少し時間をかけて育てていけば世界に通用するテクニックと表現力を身に付けて何かできるかもしれない――。 そんな気持ちでやっています。ダンサーたちに言わせると『Romeo OR Juliet』(2008年)とかではダンスを作ろうとしていたようですが、いまはダンスを作ること自体を止めて何か新しい方法で見せられないかと思っています。 パッと見た感じはダンスではないかもしれない。バリバリ踊れるダンサーを使いながらダンスをやらない。でも、ダンスはやっているんですね。普通のメソッドではないものを。いまはそれを永遠に繰り返している。 振り自体を繰り返さないで一個一個瞬間に起こったフレーズを繋ぎあわせているのでダンサーたちは何度も練習しないと覚えられないみたいです。(観客に)どのように届けることができるのか、いま悩んでいるところ。 でも、自分が本当にやりたいことを突き詰めれば共有してもらえると思っています。

創作面だけでなくコンテンポラリー・ダンスの未来を考え、ダンスを普及・浸透させていくことがダンスカンパニー化の大きな目的のひとつだと語る。

近年公演以外に小学校で教えたり地方を回ったりといった仕事が増えています。しかし、作品を創る時期と重なってしまうとワークショップができなくなったりしてストップしてしまう。 クリエーションと同じように続けていかなければならないのに途切れてしまう。そのような状況を回避できれば。自分の代わりにきちんとクリエーションを伝えられる人を育てていきたい。 いまはアシスタントに入ってもらっていますが、その人たちだけで成り立つには3、4年はかかると思う。月に何回かはコンスタントに小学校に教えに行ったり、 自分たちでワークショップを計画して20代前半の子たちが作品を発表できる場所を提供したりといったことを私がいなくてもできるようにしていきたいですね。

新生Nibroll活動第1弾新作ダンス公演『see/saw』7.20(金) - 8.12(日)を控える。

去年1年間off-Nibroll(注:映像の高橋啓祐との美術ユニット)で『a flower』という作品を作っていました。韓国に滞在していたこともあって3・11以降何を表現していくべきなのかとか、 何も表現しないほうがいいのかとか、いろいろ考えたのですが、記録とか記憶していくことをやっぱりやるべきではないかと思いました。 直接震災と繋がるわけではないですけれども、それでも距離を置いたところで、いま起こっていることを体のなかに記憶していきたい。 被災地に行ったとき、いろいろなところにたくさんの花がありました。シンガポールの音楽家Yuen Chee Wai、ベトナムの美術家Tiffany Chungと一緒に行きましたが「なんで死んでいる人に花を捧げているのだろう」 「どこの国でも花を捧げるよね」といった話になったんですね。じゃあ、それを(作品で)やろうと。セゾン文化財団の国際交流の助成を受けており最初ベトナムで発表しました(注:東京と横浜でも上演され来年シンガポールでも発表予定)。 それを発展させてNibrollでやってみようと考えました。

新作『see/saw』の具体的なコンセプトとは?

シーソーの法則って不思議なんですね。片方に乗っている人は同じところにいても同じ風景をみない。それって、まさに今の状況に非常に近いな、と。 記憶するということ、記憶したということとか、たとえば「見た」とか、こう「見た?」って聞いたのに、こうやって変わって違う風景をこっちでは見たという風なこととかが私のなかで花を捧げるということとリンクしてきた。 タイトルを見る=seeと、見た=sawとシーソーと重ねあわせてみようと。大きなテーマとしては、いまあることを記憶していくことと、それをどのように未来に繋げていくかということ。 記憶の捉え方はさまざまですが、どうすればお客さんに届くか考えてリハーサルに取り組んでいます。記憶するということと記憶したということ両方をいろいろな方法で試していて、ダンサーたちからも引き出している。

今回の公演会場はヨコハマ創造都市センター(YCC)。1階のホールにて『see/saw』を上演し同時に3階スペースでoff-Nibrollの展示を行う。展示のなかでは一人芝居も上演される。

『家は南に傾き、太陽に向かって最も北から遠い』という超長いタイトルです。眠ること、生きていることがテーマ。 眠ることが死に繋がっている。眠るのが怖い、それでも眠り続けるという内容の膨大な台詞がある地獄の一人芝居です。 off- Nibrollの『a quiet day』という小さな家をたくさん置いた展示からイマジネーションを受けています。夢のなかで家をセールスする人と、その夢を見る人に分かれている。映像のなかに案内人がいるんですね。 カメラが5台くらい仕込んであって、役者が例えばこっちからあっちにいくとモニターに映ったり案内人が映ったりする。3つくらいの大きな動きがあって、それを連続的にやりながら台詞を喋っていく。

Nibroll公演とoff-Nibrollの展示は独立したものだが相通じるものはあるようだ。

3・11以降の記憶をテーマに立ちあがってきたものがそれぞれ別の形になっています。Nibrollは『see / saw』、off- Nibrollは『a quiet day』、芝居は『家は南に傾き、太陽に向かって最も北から遠い』。結局のところアーティストが社会に対してできることはいま起こっていることを記憶したり、これから起こるかもしれないことをイメージしたり、観にきてくれる人に対して提案したり、こんなことをして生きている人がいるんだなと思ってもらえたりすることだと思う。 私自身記憶に今一番興味がある。いいものを見たときに自分自身の記憶が蘇ってきたりするので、そのようなものを作れないならやらなくていい。自分の思うようにやりたい。そうすることで(観客と)共有していくことができると思う。

2000年代のダンスシーンを疾走しつづけてきた矢内原。この10年余を振り返りつつコンテンポラリー・ダンスを取り巻くいまの日本の状況をこう捉える。

ダンスには演劇における小劇場が育たなかった。お客さんも5歳、6歳から鍛えられたダンサーを見たい。自分ができないことをできる人を見たい。 絵画で言えばモネとかセザンヌで止まっている感覚なのですね。それが悪いとは思わないし、そういった世界はずっと続いていくでしょうが、演劇だと商業演劇に対して小劇場が生まれて、どっちにもお客さんが付いている。 ダンスの場合は難しい。一時期ブームになって――あれをブームと呼んでいいのかどうか分かりませんが――ちょっとお客さんが増えた時期があったのですね。 いろんなカンパニーが私たちの世代から生まれて、いろんな人が活躍するようにはなった。でも、それがストップした感が否めなくて次が育たない状況にある。 正直に言うと私たちの世代の責任ではない。上の世代がちゃんとそういったことをやってくれていればよかったのですが、なかなかそうもいかず、それぞれ生きるのに必死だった。

ダンスと社会の結びつきについて一家言持ち実際に各方面にプレゼンテーションも行う。大学教育に関わり教育界や行政とも意見交換してダンスの可能性・重要性を訴える。

特に凄いダンサーではないけれども表現に興味ある人はたくさんいる。そことどうやってリンクしていけばいいのか。昨日も小学校の先生と話していたのですが「分からない」 と。それは届いてない証拠で反省に次ぐ反省です。そういったなか小中学校でダンスが義務教育化される。私は(導入されるのが)ヒップホップでもいいなと思っている。 ただ、ヒップホップでも体育の先生が教えたのでは体育になってしまう。私も子どもたちにヒップホップを教えていますが、ヒップホップを教える先生は、どのように表現を付けようかとバレエをやっていたり、コンテンポラリーを観たりして皆勉強しています。 表現力をいかに身に付けるかを、どのように伝えていけばいいのかが課題ですね。 文部科学省の委員をやったこともあり教育委員会の方やベネッセやNPO法人の人たちとお話ししますが教育委員会の方には「コンテンポラリー・ダンスって何だ?何ですか?」と言われる。 アメリカでは小学校教育のなかにコンテンポラリー・ダンスが入っていて表現コミュニケーション教育と呼ばれています。ダンスをすることによってコミュニケーション能力を伸ばして観客を育てていく。 ヨーロッパでもそうです。でも日本だけは、なぜか舞踊大学がない。欧米の先進国だったら音楽・美術・舞踊と全部分かれているのですが、日本だけは、なぜか体育大学のなかに舞踊学科がある。 いまだに舞踊は「女・子どもがするもの」という感覚が抜けていないのですね。そこから変えていかないといけない。

Nibrollは活動初期からフランスのアヴィニョン国際演劇祭に参加する等海外進出に意欲的だった。 日本でのブレイク後は欧米をはじめとする世界各地の劇場やフェスティバルから招待が相いで国際共同制作も行っている。海外での上演・制作について聞いた。

ヨーロッパには2004年くらいまで毎年行っていました。フランスでニブロールは嫌われました(笑)。若い批評家からは良い批評が出たのですが、パリの日本大使館でやったときのお客さんに大不評でした。 でも、ドイツはピナ(・バウシュ)がいたこともあったし、ピナの制作をしていたベルトメル・ミューラーが気に入ってくれ毎年呼んでくれました。 その後アジアン・カルチャー・カウンセリングの助成金を得て2004年頃はアメリカにずっと居ました。2005年に帰国して吉祥寺シアターで演劇作品『3年2組』を作りましたが、そのあたりから、何だろうな、嫌になったんですね・・・。 アメリカではピッツバーグやペンシルバニア州で助成をもらって制作しましたしニューヨークの小劇場キッチンに新しい作品を作ってくださいと言われてDTWのレジデンスで作ったりもしたのですが・・・。 このままここにいても駄目だな、と思ったんですね。その当時のニューヨークはビルが崩れた後で元気がなかった。ダウンタウンから仲良くしていたサラ・ミシェルトンとかやっとおもしろい振付家が出てきたくらい。 ヨーロッパ人とかアメリカ人に「俺らはお前らの作品を買っているぜ」「お前らが良いことを分かっているぜ」みたいなことを言われることが急に嫌になって途端に(欧米に)出なくなった。 Nibrollとしては『COFFEE』のツアーに行っていますが、演劇の仕事があるからと途中で帰国したりしていました。

欧米から距離を置いた矢内原の関心はアジアに向かう。近年はoff-Nibrollの活動を中心に中国、韓国、台湾、タイ、ベトナムなどの国々で作品上演・共同制作を展開している。

アジアのネットワークをもっと良くしていけば、極端にいえばアメリカやヨーロッパに行かなくてもビジネス、マーケットとして成り立っていくかもしれない。 いろいろな意味で可能性を感じます。私の先祖の矢内原忠雄(1893~1961 経済学者・植民政策学者、東大総長、日本学士院会員)さんや、 矢内原伊作(1918~1989 忠雄の長男で哲学者・評論家)さんたちはヨーロッパに繋がりがありました。伊作さんはジャコメッティとかに興味があって家にも作品がある。 それらをみて育ったこともあってヨーロッパへの憧れは無かったですね。中国には幼いころに行ったことがありました。父が烏龍茶の工場を始めることになって中国に行ったら工場はあったけれど、もぬけの殻。 昨日までいた何百人という人たちがいない…。騙されたんですね。ヒューって風が吹いていて、母親なんか手に持っていた荷物をドラマみたいにパタンと落として(笑)。 祖父が迎えに来て帰国しました。おじいちゃんは中国に戦争でいっていて、中国野菜を育て流通させることを夢に持っており実現しました。 じいちゃんが死ぬ前に「美邦、お前大陸行けよ」とか言われていて「大陸か…」と憧れみたいなものがありました。何かやってみたいんでしょうね。きっと。 忠雄さんも東南アジアに何十回と旅行に行かれて、そのことについてたくさん書いています。植民地について研究していました。そういったことへの憧れや、どのようなところなのだろうか興味がありました。 日本人がやってきたこととかも見てみたかった。どうせ行くなら現地の人と交流を持ちながら作品を作りたいなと。それをちょっとずつ進めている感じです。

今後の予定とNibrollの展開方針について聞いた。

10月に中国・昆明のスタジオ943に行って1つ作品を作ります。その後にすぐ帰国して台湾に行き、書きおろしの演劇作品をやる予定。役者の光瀬指絵を日本から連れていきます。 12月に東京芸術劇場でも上演します。来年の2月にはミクニヤナイハラプロジェクトとして吉祥寺シアターにおいて7月のoff-Nibrollの展示で発表する一人芝居を発展させた作品を発表。 それと『前向き!タイモン』をいろんなところでやりたい。ダンスに関しては昆明でのレジデンス制作がひょっとしたらダンス作品になるかもしれませんが、 国内では8月に越後妻有トリエンナーレで『see/saw』をやって年内は終り。ニブロールとしては来年地域創造のアーティストに登録しているのでアシスタント・若いダンサー中心に活動します。 それから東南アジアでツアーを予定。『see/saw』か『THIS IS WEATHER NEWS』(2010年)を上演します。毎年毎年新しい作品を作るのではなく森下スタジオや急な坂スタジオやSTスポットといった、 なるべく小さなスタジオで小さなクリエーションを重ねつつ大きな劇場で上演するのが、いまの自分にあっていると思っています。

Nibroll - New Work -"see / saw"

  • 【公演日時】7/20(金)20:00、21(土)20:00、22(日)19:00、27(金)20:00、28(土)20:00、29(日)19:00、8/3(金)20:00、4(土)20:00、5(日)19:00、10(金)20:00、11(土)20:00、12(日)19:00
  • 【会場】ヨコハマ創造都市センター(YOKOHAMA CREATIVECITY CENTER)
  • 【スタッフ・出演者】振付:矢内原美邦 映像:高橋啓祐 音楽:スカンク 美術:カミイケタクヤ 衣裳:スズキタカユキ
    出演:小山衣美、絹川明奈、福島彩子、山下彩子、 エキストラダンサー
  • 【チケット料金】一般3,200円 学生2,800円 当日3,500円
    ※チケット記載の整理番号順に入場
    ※このチケットで同時展示のoff-Nibrollの展示も観覧可
    ※『see/saw』の開演1時間前に、off-Nibrol展示内でl一人芝居『家は南に傾き、太陽に向って最も北から遠い』を行います。
  • 【チケット取り扱い】 プリコグWEBショップ http://precog.shop-pro.jp/

高橋森彦

舞踊専門紙誌、日刊紙、美術誌、芸術批評誌、公演プログラム、公演チラシ、Web媒体等に公演評・解説・紹介記事・インタビュー記事を寄稿。 バレエ、コンテンポラリー・ダンスなどのほか演劇等も含めたパフォーミングアーツ全般に関心。
公式ブログ「ダンスの海へ」
http://d.hatena.ne.jp/dance300

Nibroll公式ホームページ

http://www.nibroll.com/