バランシンジャーナル

No.1

 残暑の熱気が残る2013年10月3日、”Suki Schorer on Balanchine Technique”の日本語版が書店に配本された。スキ・ショーラー著「バランシン・テクニック」。大修館書店が発行した全459頁、重量1.2キロの本書は、振付家ジョージ・バランシンの作品を踊るためのテクニックに特化した、わたしの知る限り世界でもっともマニアックなバレエ教本だ。
 永らく翻訳に携わっていた訳者として、そして振付家ジョージ・バランシンが設立したニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)と彼の作品を見、書き、語ることを長らく仕事の基軸としてきた者として、この良著を日本に紹介する大任を果たせた喜びと安堵感に浸っていた。さながら長い、長い旅の終着地に辿り着いたような心持ちだった。

◇ ◇ ◇

バレエを二十世紀の芸術にした振付家、バランシン

 ジョージ・バランシン(1904〜1983)は、貴族社会で産声をあげたバレエを二十世紀仕様の芸術に一新させた振付家である。彼のバレエには、とにもかくにも清新なエネルギーがみなぎっている。ダンサーは主役と群舞の別なく手脚を大きく降り動かし、絶妙のタイミングで出入りを繰り返しながら颯爽と駆け巡り、舞台をめくるめく躍動感で包み込む。回転も跳躍も男女が組んで踊るデュエットも、より大きく、高く、流麗だ。バランシンの作品が放つパワーは、古典的な作品の比ではない。

 バランシンは帝政時代のロシアに生まれ、マリインスキー帝室劇場でダンサーとして歩み始めた。彼が親しんでいたのは伝統的なバレエだったが、バレエ学校在学中に振付を始め、古典バレエの厳格な様式にとらわれることのない清新な作風を確立した。バランシンにとってのバレエは、20世紀、とりわけ彼が後半生を過ごしたアメリカの息吹を体現する現代的な芸術にほかならない。

 このようなバランシン・バレエを成立させるには、古典バレエの技法を身につけたうえで、そこから自由自在に踏み出し、バランシンの意のままに踊るダンサーを必要不可欠とする。生前のバランシンは、NYCBで創作をするだけでなく、日々、団員レッスンを教える教師でもあった。彼にとって、自作の担い手を育てることと作品を振り付けることは、表裏一体の関係にあったのだ。

 著者ショーラーは、1959年にニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)に入団したバランシン・ダンサーだった。現役中にバランシンの指名で団員レッスンの代理教師を務め始め、1972年に舞台を退いた後はNYCB付属バレエ学校、スクール・オブ・アメリカン・バレエ(SAB)の専任教師に任命され、今日も後進の指導にあたっている。本書の読者は、振付家として黄金時代にあったバランシンの許でショーラーが蓄積した、かけがえのない経験と知識を享受できるわけだ。

 いかにバランシンの意のままに踊るバランシン・ダンサーになるのか。いかにバランシン・ダンサーを養成するのか。本書を著すにあたり、ベテラン教師とプロダンサーおよび、プロダンサーになる素質を持った上級レベルの生徒に対象を絞った、とショーラーは述べている。とはいえ、いたって初歩的な事項に多くの頁が割かれている。フロアで静止している時、足裏のどこで体重を支えるのか。腕を動かす時、どのタイミングで動きを先導する部位を変えるのか。足を体の前に差し出す時、爪先をどのルートで進ませ、どのポイントに到着させるのか。トゥシューズで立ち上がる時、踵をどのように持ち上げ、爪先をどのように引き寄せるのか。宙に上げた足を下ろす時、トゥシューズの先端のどの縁からフロアに接触させるのか。

 一連の記述は、きわめて具体的で詳細だ。ダンサーの筋肉が経験的に熟知しているだろう事項をも彼女は綿密に分析し、伝統的なテクニックとの違いを明確にし、バランシンが必ずしも明言しなかった意図を汲み取り、それらを端的な言葉で綴っていく。大らかなムーヴメントを多用する振付とは裏腹に、バランシン・テクニックの基盤にあるのは緻密なテクニックであり、そこに細やかな修正を加え、緩急の変化を加え、時にはミリ単位の調節をほどこして、ようやくエネルギッシュなスピード感が現実のものとなる。本書を訳出しながら、わたしはバランシンの仕事ぶりを目の当たりにしてるかのような興奮を禁じ得なかった。

 実はショーラーはSABで学んだ生え抜きのNYCB団員ではない。西海岸の古豪サンフランシスコ・バレエ団を経てNYCBに入団した、遅れてきたバランシン・ダンサーだった。外部で学び、踊った経験が奏功し、理路整然とバランシン・テクニックを吸収できたのではないだろうか。貪欲にバランシンのレッスンを受け、彼の作品を踊り、名実ともにバランシン・ダンサーに変貌を遂げた彼女を、バランシンは『真夏の夜の夢』のバタフライや『エメラルド』(『ジュエルス』第一幕)のソリストに起用している。バランシンは、彼女が得意とした素早く軽やかなフットワークを愛でたという。

 さらにバランシンは、ショーラーを教師として重用することになる。彼女がバランシン・テクニックを体得しただけでなく、それを第三者に伝え、理解するまで粘り強く指導する能力に長けていることも彼は見抜いていたようだ。ショーラーの鋭敏な受容力とバランシン・テクニックの指導にかける熱意には、脱帽するしかない。

(No.2につづく)