バランシンジャーナル

No.2

 スキ・ショーラー著「バランシン・テクニック」(大修館書店)は、プロフェッショナルなダンサーおよび教師、上級レベルの生徒のために書かれたものだ。しかしながら、バランシン・バレエを見ることを仕事の基軸にしているわたしが、本書の翻訳を通して、ショーラーの造詣に大いに啓発されたことを述べておきたい。

 バランシン・バレエの多くは、具象的なプロットを持たないアブストラクト仕立てになっている。物語や大がかりな美術の類を伴わなくとも、ダンサー達はひたすら躍動し続け、見飽きぬ造詣美を具現する。ただし、バランシンのアブストラクト・バレエは無機的なステップの連なりではない。音楽の機微を如実にステップに反映させることによって、作品全体に起承転結に通じる骨格がもたらされ、あるいは、手に手を取って踊る男女の間に微妙なロマンスの気配が立ちのぼり、全幕の物語バレエに匹敵する興趣が醸し出される。

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バランシン・バレエ、その興趣の源とは

 その興趣の源は何なのか。突き詰めると、バランシンが生み出すのは、一つひとつのステップである。ダンサーの体や表情、視線、髪、息づかい、衣装、照明がもたらす陰影といった、観客が目にする全ての動きがバレエの根底にある。その上に無数のディテールを積み重ねて、バランシンは一つのバレエを組み立てる。では、何がどう動くのか。その動きは古典バレエのそれとどう違うのか。あの躍動感をもたらすものは、いったい何なのか。本来、無機的な動きであるはずのバレエのボキャブラリーが、いかにして何ものかを物語るステップに変貌するのか。一人の観客としてバランシン・バレエを見る毎に、彼のバレエを見尽したいという思いを募らせていた。

 本書の全編を訳すことによって見つけた答えは、バランシン・バレエを見るための正道や王道なぞは存在せず、目を凝らして見続けるしかないということだった。積年の謎を解明する答えには辿り着いていない。それでもバランシンが自身のバレエにちりばめたテクニックについて知識を深めることによって、バランシン・バレエを見る目が鍛えられたと感じている。バランシン・バレエのボキャブラリーを知り、語調に馴染んだ結果、音楽の楽節毎に趣きを変えるステップの流れを汲みとり、ステップの合間から顔を出すサプライズを受け止めるアンテナの感度が少しばかり良好になったと思えるようになった。

 原著の一言一句を噛みしめながら訳出することが、バランシン・バレエのみならず、ダンス全般を見ることと表裏一体になっていたことに気付かされた次第だ。

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 もう一つ、ショーラーが心血を注いだ事項に言及しなくてはならない。レッスンやリハーサルの合間に彼女が耳にしたバランシンの言葉や目にしたエピソードが、全編にたっぷりと織り込まれている。彼と直に接する機会を持たない読者にバランシンの実像を伝えることを、著者は意図しているのだ。これらの情報は、自分自身ないし自身のバレエについて言葉で語ることを好まなかったバランシンの人となりや思考経路をうかがい知る、貴重な手がかりである。

 簡潔にしてユーモラス、時に皮肉がまじる語録や言葉遊びの数々は、それだけで読み物として面白い。彼の人生観を浮かび上がらせる含蓄に富んだ金言も少なくない。たとえば、やる気のないダンサーに活を入れるためにかけた言葉。ロシアの格言や英語の語呂合わせを使った、名言や迷言。離婚の危機に直面した男性へのアドバイスや、一時期、日本でも愛用者が多かったサウナウェアを根絶するために講じた奇策は、ダンサーならずとも必読だ。

 〈いつか、どこか〉ではなく、〈いま、ここ〉でベストを尽くすことをモットーにしていたバランシンは、NYCBという大組織のトップとして、人の心をマネージメントする達人でもあったに違いない。

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 バランシンの没後30年を経た2013年、東京に居ながらにしてバランシンの選りすぐりの秀作を観賞する機会に恵まれた。新国立劇場は『シンフォニー・イン・C』の再演に加えて、コンチェルト・バロッコ』と『アポロ』を初上演。多くのバランシン・バレエをレパートリーに持つスターダンサーズ・バレエ団では、『スコッチ・シンフォニー』を初めて取り上げた。いずれも十全な準備を経たことを物語る、充実した舞台だった。

 「バランシン・テクニック」の刊行から半月余が過ぎた10月下旬にはNYCBが日本公演を行い、バランシン・イヤーのフィナーレを飾った。ここ十年程の間、ニューヨークでの長期シーズン終了直後で疲労がたまった時期、ないし休暇が明けたばかりで個々のダンサーの体調が不揃いな時期に来日することが続き、本拠地ニューヨークで見るNYCBとの落差に心を痛めることがあった。幸いなことに、今回は違った。日本公演の日程は、秋の短いシーズンの一週間後とあって、コンディションは万全。日を追う毎にダンサーの踊りは熱を帯びていき、 アシュリー・ボーダー、タイラー・ペック、サラ・マーンズ、アマール・ラマサール、アンドリュー・ヴェイエットを始めとする、今日のNYCBの中核を担うダンサー達の〈いま〉の輝きを堪能した。

 本書の翻訳に十年余の時間をかかってしまったことはわたしの不徳の致すところだが、その間に日本で国内外のより多くのバレエ団がより多くのバランシン・バレエを上演し、振付家バランシンに対する関心が深まったのではないか。NYCBの東京公演最終日の最終演目『シンフォニー・イン・C』が大団円を迎えて熱い拍手が涌き上がる観客席で、わたしはそう確信していた

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 NYCBが日本公演を終えた翌週のことだった。バランシン・イヤーが閉幕した一抹の寂しさを感じつつ、とある資料を読んでいたところ、バランシンが子供時代を過ごした一帯を示す図版に目を引きつけられた。頭の中で何かがクリックし、図版から声が聞こえてきた。ロシアにおいで、サンクトペテルブルクにおいで。 バランシンがわたしを呼んでいるような気がした。

 単なる妄想かもしれない。しかし、ロシアに行かなくてはならない、という思いに駆られた。サンクトペテルブルクでバランシンが歩いた街路を歩き、彼が見た光景を見、彼が踊ったマリインスキー劇場でバレエを見なくてはいけない。バランシンがアメリカで育んだバレエの源流にある、帝政時代のロシアの栄華を体感しなくては、バランシンの全体像を俯瞰できない。サンクトペテルブルクは、バランシンの生地、否、聖地にほかならない。

 2014年の正月明け、成田空港を発ち、モスクワ経由でサンクトペテルブルクのプルコヴォ空港に降り立った。バランシンを巡る新たな旅の始まりである。

(No.3につづく)