バランシンジャーナル 第4回


 旧称〈インペラトルスキー・マリインスキー・チアトル〉は、ただそれだけで芸術作品と呼ぶに相応しい、美しい劇場である。天使を描いた天井画、金彩を施したレリーフやシャンデリアが贅沢に配されているが、色合いが洗練されているため、けっして華美に過ぎることがない。2階の広々としたロビーは白を基調にした抑えた色調で、壁面や天井はやはり入念な細工を施したレリーフに彩られ、そぞろ歩く観客達が晴れやかな気分を味わっていることが感じられた。盛装した貴族達が集った帝政時代には、さぞや華やかな雰囲気だったことだろう。

 舞台裏を見学した2日後、改めてマリインスキー劇場に足を運び、バレエ公演を見た。演目は『白鳥の湖』全幕。1950年代から60年代にかけて芸術監督を務めたコンスタンチン・セルゲイエフ(1910〜1992)の演出・振付による、ソビエト時代以来のバージョンである。結論から先に言うと、残念ながら、当夜の舞台は必ずしも万全なものではなかった。

 オデット=オディール役は、オクサーナ・スコーリク、ジークフリート王子役は、ティムール・アスケロフ。各々、2013年6月に開催されたモスクワ国際バレエコンクールで2位と1位を獲得した実力の持ち主である。スタイルも美しく、殊にアスケロフの脚のラインは、溜め息をつきたくなるほどに長く、伸びやかだ。しかしオデットに扮したスコーリクが連続旋回をしながらステージを横切る最中に大きく傾き、バランスをとろうとした彼女の腕は、一瞬、素のラインになってしまう。悪魔ロットバルトがオデットをリフトする際に手を添える位置を見誤ったのか、彼女を落としそうになる。第2幕の湖畔の場面で白鳥の精達が小さくアラベスク・ソテ(アラベスクのポーズをして跳ねる)をしながら入場するお馴染みの情景では、アンサンブルの不揃いなことに面食らった。

 この日のわたしの座席は1階席11列16番、料金は5,000ルーブル(約15,000円)。最高額の6,000ルーブルに次ぐ席だった。最安の席は2,000ルーブル。同じ全幕作品でも、『白鳥の湖』以外は概ね5,000〜1,500ルーブルで、短めの作品や初演年度の古い旧作はもう少し価格が抑えられている。意外なことに、オペラ公演はいずれのバレエよりも安価だった。

 サンクトペテルブルク市民の2013年の平均月収は27,300ルーブル(約80,000円)、との統計がある。日本の民間企業の平均給与所得は年間で400万円超。地元在住者に適用される30%の割引を差し引いても、バレエ公演の入場料金は高額だと言わざるを得ない。満員の1階席を埋めていたのは、地元の富裕層なのだろうか、それとも外国人観光客だったのだろうか。

 同時期にボリショイ劇場でも『白鳥の湖』を上演していた。入場料を調べてみたところ、最高額は800ドル(約80,000円)。ソビエト時代のバレエは外貨を稼ぐ一大産業だと皮肉る向きがあったことを記憶しているが、依然、優良なビジネスモデルであり続けているようだ。事前に全公演の日程と主要キャストが発表され、順当な価格で前売り券が販売される日本のバレエ事情に心から感謝した。ソビエト連邦とロシア連邦のはざまで、バランシンとは直結しない事項をつらつら考えさせられた次第である。

 休憩時間には、帝政時代にタイムトリップした。2階席中央に鎮座しているロイヤルボックスから舞台と客席を見渡してみたのだ。座席とステージの間に視界を遮るものが何もなく、劇場を我が物にしたかのような感覚を覚えた。舞台との距離感といい、舞台を眺めおろす角度といい、絶妙の頃合い。歴代のロシア皇帝がまさにこの場所で、マリウス・プティパの華麗なバレエを堪能していたわけだ。同時に、劇場中の観客から注視される場所であることも理解できた。とにもかくにも、このボックスは堂々たる存在感を放っている。帝政時代には劇場の事実上の所有者だったロシア皇帝に、ソビエト時代にはこの劇場を牛耳る共産党の重鎮達に最良の眺めを提供するために、さらにはこのボックスに鎮座する彼ないし彼らの姿を仰ぎ見る機会を不特定多数の人々に提供するために、この劇場が存在していたといっても過言ではない。

 休憩時間には、一介の旅行者であるわたしもボックスの内部に足を踏み入れ、写真を撮影することができた。帝政とソビエト連邦の崩壊を実感した瞬間だった。


◇ ◇ ◇



 断続的に小雨が降り続ける1月8日、いよいよわたしはバランシンの聖地を巡るべく、サンクトペテルブルク市内を歩き回った。

 1904年にサンクトペテルブルクに生まれた ゲオルギー・バランチワーゼ、後のジョージ・バランシンは、帝室劇場付属学校に学び、ロシア革命後にGATOBと改編されたマリインスキー劇場に入団、やがて振付家としてキャリアを歩み始めた。

 同僚ダンサーと国外ツァーを行なうために出国した1924年までの20年間は種々の伝記の類に記録されているが、現地を訪れることで気付かされたことが少なくなかった。バランシンがロシア=ソビエトで過ごした日々は、わたしが理解していた以上に激動の連続で、殊に革命前後の彼は幾多の浮沈を経験している。バランシンの身辺に〈影〉どころか〈闇〉が忍び寄り、生命の危険すら迫っていたことが窺われた。

 サンクトペテルブルクは約500万人の人々が暮らす、ロシア第二の大都市である。南北3キロ、東西5、6キロ程度の中心部には幸いなことに昔ながらの区画が残され、昔ながらの住所が用いられている。とはいえ不案内な街での一人歩きは心許なく、マリインスキー劇場の舞台裏見学に続いて、ミハイロフスキー劇場のT氏にいま一度、案内役を任じてもらった。

〈続く〉