NICOLAS LE RICHE
SOIRÉE EXCEPTIONNELLE
ニコラ・ル・リッシュ特別公演

 既に多方面で速報されているように、7月9日夜パリ・オペラ座ガルニエで、エトワールのニコラ・ル・リッシュの特別公演が開催された。今年42歳で定年を迎えたニコラは、これに先立って、バスティーユで公演中のローラン・プティ振付『ノートルダム・ド・パリ』に三夜出演、5日夜の公演は彼にとってもう一つのさよなら公演となり、全身全霊を傾けたカジモドの熱演に会場全体が興奮の渦と化した。

 さて9日の公演は、ニコラ自身が構成したプログラムで、オペラ座で過ごした34年間で特に思い出深く、重要な意味をもつ8つの作品を選び、オープニングから最後のベジャール振付『ボレロ』まで5作品に出演した。

 オープニングは、マチュー・シェディドのギター伴奏によるシャンソンに合わせた『Oualé(ウアレ)』。舞台奥からいつのまにか現れたニコラは、ヌレエフの『白鳥の湖』の王子やバランシンの『アポロ』、ロビンスの『ダンス組曲』などを彷彿とさせる短いパッセージを織り込みながら、自由自在なソロを繰り広げていく。このようにシンプルで気取りのないダンスの中にも自然体の魅力が溢れ出す。

オープニング
Ⓒ  Sébastien Mathé / Opéra national de Paris


 続いて第一部は、ローラン・プティの『旅芸人』(音楽アンリ・ソーゲ)で開幕。ニコラが、プティの作品を初めて踊ったのは93年5月、まだプルミエ・ダンスールでエトワール任命の直前のこと。公演初日に、プティの持ち役であった『旅芸人』の座長役で登場、別の日に『若者と死』を踊り、すっかりプティのお気に入りとなったのだった。それからまもなく6月にエクの『ジゼル』オペラ座初演に出演。アルブレヒトを演じ、マリ=クロード・ピエトラガラとジョゼ・マルティネズとの白熱の共演が話題を呼んだ。エトワールに任命されたのは7月22日にニームで古典版『ジゼル』を踊った後のこと。ファニー・ゲイダ、カロル・アルボとともにトリプル・ノミネートとなった。この任命の日付がオペラ座の資料では7月27日になっているが、当時の新聞記事(7月24、25日の<ル・フィガロ>紙の第一面を飾った)によれば22日で間違いないようだ。なお、三人をエトワールに任命したのはヌレエフではなく、当時舞踊監督だったパトリック・デュポンである。


『旅芸人』より中央がル・リッシュⒸ  Sébastien Mathé / Opéra national de Paris


 今回『旅芸人』でバレエ学校生徒たちを従えて舞台に登場したニコラの胸によぎったのはどんな思いだったのだろうか。前口上に続いて、劇中劇の形で、オペラ座バレエ学校生徒のフェデリコ君がリシーン振付の『卒業舞踏会』から鼓手の踊りを颯爽と踊る。ニコラがバレエ学校時代に踊った役で、よほど語り種になっているのか、この作品のリバイバルの際のプログラムにその意気揚々とした写真が掲載されている。

 次はなかなか趣向が利いていて、旅芸人一座のところにアブデラム(ステファン・ビュリオン)一行が押し寄せ、舞台はヌレエフ版『ライモンダ』第2幕の宮殿に移り変わる。ライモンダはドロテ・ジルベールだが、あまり踊りの場面がなかったのが残念。

 この作品を選んだのは、1983年にヌレエフが初演した舞台の感動が鮮烈だったからということらしい。83年は、ギエム、イレール、ルグリ、ゲラン、モランなど若き日の「ヌレエフ世代」が台頭し、来る「黄金時代」の幕開けであった。当時の映像と、2008年にニコラが初めてアブデラムを演じた時の映像が収録されているので、いつか見比べてみるのも興味深いかもしれない。

 続くニジンスキーの『牧神の午後』は、“現代のニジンスキー”に喩えられたニコラの当たり役の一つ。当夜は、牧神をジェレミー・ベランガール、ニンフをエヴ・グリンシテインが踊った。できれば本人が踊ってほしかったが、次に「大作」3本が控えているのでこれは不可能というもの。ニコラがこれまで踊ったニジンスキーのレパートリー『バラの精』『ティル・オイレンシュピーゲル』『ペトルーシュカ』などの名演が思い出される。

 このあと第2部からいよいよ本命のプログラムのスタートである。第2部プティの『若者と死』はニコラの代名詞ともなった伝説の作品で、観客が固唾を呑んで見守る中、屋根裏の画家のアトリエに若者ニコラが登場。既に何度か見ているはずなのだが、ちょっとした仕草も衝動的で新鮮、ショートのヘアに引き締まった身体ラインのせいか、実年齢が42歳であることが信じられないくらい若々しい。このバレエの初演者であるジャン・バビレ(1923〜2014)は60歳を超えるまでこの作品を踊っていた。ニコラにも永遠の若者としてこの作品を出来る限り踊り続けてほしいと思った。


『若者と死』アバニャートと。Ⓒ  Sébastien Mathé / Opéra national de Paris


 死の役に関しては、最初のパートナーであるピエトラガラの強烈な存在感を忘れることができなかったが、エレオノーラ・アバニャートは気迫に満ちた役作りで本人のベストを尽くした演技と言えるだろう。

 第3部では、まずエクの『アパルトマン』をシルヴィ・ギエムと共演。二人が初めて共演したのはこのガルニエの舞台で、98年5月の『ドン・キホーテ』だった。以後、『白鳥の湖』や『マルグリットとアルマン』などでこの「黄金ペア」の舞台が実現しているが、二人の絶妙な一体感は出会うべくして出会ったとしか言いようがない。現代の空虚感を伝えるこのデュエット。途中で固い握手を交わした時の二人のいつになく輝くようなまなざしが忘れがたい。終演後は、感慨無量の二人に客席も感極まり、惜しみない喝采が送られた。


『アパルトマン』ギエムと。Ⓒ  Sébastien Mathé / Opéra national de Paris


 続いてニコラが初めてオペラ座のために創作した『カリギュラ』よりカリギュラ(マチュー・ガニオ)と愛馬(オードリック・ベザール)の短いシーンを挟んで、最後はベジャールの『ボレロ』。ニコラが最初に踊ったのは2006年6月のことだった。一瞬一瞬いつくしむように時を刻み、周囲を巻き込み燃焼していくニコラ。かつてない集中度の高さに圧倒された。ソリストにジョシュア・オファルトとカール・パケットという二人のエトワールを配したのは記念公演にふさわしい贅沢さだった。

 カーテンコールでは、色鮮やかな紙吹雪が舞い、ニコラは何度も何度も舞台に呼び戻され、喝采はいつ果てるともしれなかった。彼の育ての親である前オペラ座バレエ学校校長のクロード・ベッシーも舞台に登場し、誇らしげな表情で、世紀の大スターとなった最愛の弟子ニコラとシルヴィを祝福。 終演後は、グラン・フォワイエでレセプションが行われ、フィリペティ文化大臣からニコラにレジオン・ドヌール勲章コマンドール章が贈られた。これまで彼を支えてきた愛妻クレールマリ・オスタと天使のような二人の愛娘が見守る前で、ようやくリラックスした表情が戻ってきたようだった。

カーテンコールで。
Ⓒ  Sébastien Mathé / Opéra national de Paris


 ニコラがこれまで踊ってきた膨大なレパートリーは、彼個人のキャリアを豊かにしたというのみにとどまらず、パリ・オペラ座の歴史的遺産がいかに豊潤であるかを物語っている。この貴重な蓄積をぜひ後進に伝えてほしいと願うのは筆者だけではないだろう。しばらくはダンサーとして振付家として活動を続けて行くことだろうが、いずれその指導者としての手腕を活かせる場が準備されることを希望してやまない。

終演後のレセプションで文化大臣からレジオン・ドヌール勲章コマンドール章を授与される。Ⓒ  Sébastien Mathé / Opéra national de Paris


 なお当日の舞台の模様はネット上で実況中継されたが、今秋にはテレビ中継されるので、いずれ日本でも放送されるのを心待ちにしたい。


カーテンコール写真Ⓒ Sébastien Mathé/Opéra national de Paris